カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS

太極拳とは?、太極拳の歴史、太極拳の大家、太極拳の流派

・太極拳とは?

太極拳(TaiJiQuan)。中国の無形文化遺産。
中国の伝統的な儒教、道教哲学中の太極、陰陽理念を核心として易学の陰陽五行の変化、中医経絡学、
古代の導引術、吐納術を取り入れた拳術である。
形意拳、八卦拳と並んで内家拳の代表的な武術として知られる。
ゆったりとした動作の中に攻防すべての要素が詰まっているといわれ格闘技や護身術としてだけでなく、
健康法といても高く評価されており 日本でも愛好者が多い。




・太極拳の分類

1)太極拳(伝統拳)
伝統武術として継承されてきた太極拳を『伝統拳』と呼ぶ。
五大流派を中心に様々な流派があり、技の習得として『套路(とうろ)』、『推手(すいしゅ)』、『散手(さんしゅ)』と進むのが一般的である。

 ●套路(とうろ)
 1人で行う型。攻防、立ち方、歩き方、呼吸法、気功などが統合的に盛り込まれた一連の動作。
 ほとんどの流派で複数の套路を持つ。
 一般に太極拳と言う場合套路を競技、表演用に整理したものや健康体操として簡易化されたものを指すことが多い。
 これを伝統拳に対し「制定拳」と呼ぶ。

 ●推手(すいしゅ)
 二人一組で決められた攻防の型を行う。
 体のバランス、能力、反射神経を養う。太極拳の技をより深く理解し高めることを目指す。
 単推手、双推手、四正推手の四つに分類され、流派ごとに異なる手法や拳法(ステップ)がある。
 力の強さを競うものではなく、相手の力を受け止め、その力を利用し押し返す。
 相手との接触を保つバランス、相手を感じる能力、相手とシンクロ(同調)することが要求される。

 ●散手(さんしゅ)
 対人で自由に動いて行う太極拳。 スパーリングや組手、柔道における乱取りに値する。

2)武術太極拳
中国武術を基にした競技。 国際的には「WUSHU」(ウーシュー)と呼ばれ、国際オリンピック委員会 (IOC)正式認承競技である。 種目は太極拳、長拳(三種目)、南拳の三種。




・太極拳の歴史

・制定拳
伝統的に受け継がれてきた太極拳を万人向けに中国の国家体育委員会がまとめたのが制定拳である。
国家が制定した套路。楊式太極拳を基にしている。

 ・1956年 国家体育委員会が簡化太極拳(24式太極拳)を制定。
 ・1957年88式太極拳が制定される。
 ・1958年 推手、32式太極剣が制定される。
 ・1976年 48式太極拳が制定される。
 ・1987年 総合太極拳(42式太極拳)、42式太極剣が制定される

日本では、1970年に楊名時が簡化太極拳を紹介しており、その後健康体操として全国レベルに広まった。




・太極拳の大家

陳式太極拳・・・快慢、高低、跳躍、活発、豪柔
中国河南省陳家溝に住む、陳氏一族を中心に伝承されてきた武術。太極拳の源流。起源、創始者については諸説あるが、陳氏第九世の陳王廷が制定したという説が有力である。 太極拳の研究家である唐豪という人物は「温県県誌」「陳氏家乗」などの資料から太極拳の創始者は陳王廷と結論づけている。 代々継承されていく中で陳王廷→陳長興→陳有本→陳清萍→陳発科の時代に新しいスタイルが生み出され陳発科とその子第十八世陳照丕の時代に広く知れ渡ったといわれている。 陳家太極拳はゆっくりとした動きだけでなく、跳躍や震脚など激しい動作も含んでいる。 元々は太極拳とは呼ばれておらず、楊露禅の拳を「太極拳」と呼んだことから後に陳氏拳法も「太極拳」と呼ぶようになった。

第十四世 陳長興(1811〜1853)
父、秉旺に武術を習い、陳王廷が生んだ5種類の複雑な套路(五路拳)を整理し、さらに練り一路、ニ路にまとめ上げた。陳徳瑚が営む薬店の守衛をしながら庭で武術を教えていたのを薬局で働いていた楊露禅が盗み見て練習した。(陳氏の武術は門外不出)これは大罪であるが、楊露禅の真面目な性格、人柄と陳徳瑚瑚瑚の取り成しで陳長興排の弟子とした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

楊式太極拳・・・大きくゆったりとして動きが特徴
河南省陳家溝在住の武術家、陳長興の弟子として陳家太極拳を学んだ楊露禅が大成の後に独自の創意工夫を施して創始されたものと言われる。 その後、露禅の子、楊健候、孫・楊澄甫と三代渡って改良が加えられ、この澄甫が改編、開発した太極拳が現在の「楊式太極拳」である。陳氏の拳法の剛の一面を取り除き、柔の特徴を主としている。大架式の動作がのびのびとして柔らかく、発において一見して激しい動作を行わない点が陳家太極拳との違いといえる。

楊露禅(1799〜1872)
幼少の頃より武術を好み、始めは少林拳系の武術を学んだ。広府鎮で陳徳瑚が営む薬店で働いた時、当代一の使い手である陳長興に出会う。彼の元で修業をしたいと思うが、陳氏の拳は門外不出のため基本的な型すらおしえてもらえなかった。そこで弟子たちに教えているのを垣根から覗き見ては自分で考え、1人で練習する日々を続けた。しかし武術を覗き見ことは当時の慣例としてタブーであり、両腕を切られる重罪であったが、才能があると見抜いた陳長興は彼を弟子とした。十数年の修業ののち帰郷。清朝貴族の武家の人々にも太極拳を教え、信頼を得た。その後、北京に移り王族や貴族を指導。初心者でも学びやすい動きへと改められ、広く普及していった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

呉式太極拳・・・大きくのびやか 前傾姿勢
全佑とその子である呉鑑泉によって創始された。他の太極拳が立身中正(身体を垂直に保つ)を重視するのに対し前傾姿勢が多いのが特徴。この前傾姿勢は満族のシュアイジャオ(武術格闘技)に由来するといわれる。また、他の流派にはない特徴として方拳、円拳と呼ばれる2種類の動きがある。呉式太極拳は緊密でまとまっており、楊式初期の風格を残しているといわれている。長寿が多いことでも知られ、中国で2番目に練習者が多い。また中国国内だけでなく、香港を中心として華僑の間でも広く普及している。系統によって歩距や架式の高さに違いが大きい。

全佑(1834〜1902)
満州出身。中国北京の中国武術名家。旗営の見習い軍官だった時、軍官出身の万春凌山と共に楊露禅に楊式太極拳を学ぶ。しかし軍官出身という理由で3人は楊班候(露禅の子)の弟子とされた。楊露禅が永年に戻った後、全佑は旗営をやめ、独自の工夫を加えて「全佑老架式」と呼ばれる太極拳を創造した。

呉鑑泉(1870〜1942)
全佑の養子。満族出身。許禹生が立ち上げた。北京体育研究所で楊澄甫(露禅の孫、健候の子)と共に太極拳を教えた。その折、政治を掌握していた袁世凱の陣営にいた宋書銘(宋遠橋の17代目の子孫と名乗る)に出会う。北京で太極拳を教える誰もが宋書銘との推手では自分をコントロールできず、叶わなかったことから、他の先生と共に彼の弟子となり学ぶ。その後、父・全佑の太極拳と宋書銘の太極拳を融合し「呉式太極拳」を確立させた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

武式太極拳...動作は小さく、柔らか
創始者は武禹襄。楊露禅に陳式太極拳、楊式太極拳を学ぶ。その後、陳清萍に学び、これに創意工夫、独自の理論を加えて成立した。武禹襄やその兄、秋瀛は名家の生まれで拳法を教えることで生計を立てなかったことや親族にしか伝拳せず、近年まで保守的な姿勢をとっていたため伝承者は極めて少ない。武式太極拳や郝式太極拳とも呼ばれるのは有名な伝承者。郝為真の一族が武式太極拳を広めたためである。郝為真は孫禄堂の師。陳式から生まれた小架式の太極拳ではあるが、陳式の勇猛、楊式の伸びやかさに比べ動きが小さい印象があるが、難度が高く精巧緻密ですきなく構成されていて含蓄が深い。

武禹襄(1812〜1880)
永年広鎮の四大名家といわれる名武家に生まれ、幼少より父親から洪拳や馬術を習った。武禹襄は楊露禅の友人であり支援者であった。彼を師とし陳式太極拳を学ぶ。その後、陳長興に直接の指導を願い出たがかなわず、趙堡架太極拳を創造した陳清萍に学ぶ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

孫式太極拳・・・開合、進退、転折機敏
孫禄堂によって創始された。形意拳の歩法、八卦掌の身法、武式太極の3つの拳法の神髄を極め、凝縮し融合させた比較的新しい憲法。形意拳の特徴である活歩と開合手を用いることから開合活歩太極拳とも呼ばれている。套路の流れは雲や水に例えられるほど開と合の変化が留まることなく連綿と続く。姿勢はやや高く快活に動く。他の太極拳には見られない動きの早い太極拳。

孫 禄堂(1861〜1932)
清末民初の武術家。三門を統合した内家三拳(形意拳、八卦拳、太極拳)を確立した達人。幼い頃より武術を好み、形意拳を李魁元に学ぶ。その後、李の師である郭雲深より学び、程廷華から八卦拳を学ぶ。続いて武式太極拳を郝為真から学んだ。太極拳を学ぶまで数多くの腕試しをし、相手を倒していたが、そのような生活を改め、練習を重ね三門の長所を取り入れた孫式太極拳を創造した。弟子には二代目となる長女孫剣雲、二男孫存周、胡鳳山などが著名である。




・太極拳の流派

系図